縁起
昨夜、NHKでイチローをクローズアップした番組を見た*1。
自分の状態をトップに持っていくための「儀式」は有名だけど
縁起を担ぐことは無いでしょう、という質問に、「いえいえ!」と即反応して
バッターボックスに向かうとき、左足からとか、凡打では右足から戻るとか身を乗り出して語っていた。
勝負事、ここぞというときの拠り所は大事だ。
他人から見たら、意味が無かったり、滑稽だったりしても
本人には、十分意味があり、真剣なものだ。
所作、儀式、縁起担ぎ、スタイル、こだわり、神頼みなど、捉え方はいろいろだろうけど
本人が、自分の状態をコントロールする手段を持っていることは勝負事に欠かせない。
受験生の親が、子どもの合格を祈願するのも、親心と自己コントロールの二面性がある。
受験生本人になると、合格祈願は後者の意味合いがすべてだ。
事業ともなると、カリスマ性、リーダーシップとも関係してくる。
何事をなすにも
不安や邪念を振り払い、目的達成のただ一点に焦点をあわせ
自分の状態をコントロールする術を持っていると持っていないの差は大きい。
事が大きくなればなるほど、その差は歴然としてくる。
呼び方はいかようであれ、
人知の及ばないものの存在を認めるかどうかによらず
意を決したり、その決定を実行したり
要は事をなすのに、自己コントロールは必須である。
優秀な経営者は、必ず、そうゆう能力に長けている。
自分にも、部下にも、そういうコントロールを及ぼす。
だからこそ、彼らは困った局面、重要な局面でこそ頼りになるし、力を発揮する。
そのために、何を引っ張り出そうがかまわない。
だけどそれができないと、ただ状況に流されるだけである。
程度の差こそあれ、平凡な経営者は、それができない。
程度の低い経営者は、哀れにも、ただ、本人が苦しむばかりである。
おめでタイムス 2008
- 太郎は親に何の相談もなく(編入)受験する大学を決めたが、お父さんはお母さんのように「結果が良ければすべて良し」だとは思っていない。
- 娘に海外逃亡された木村家の食卓では、エビが出ると必ず誰かが「香名子がいたら喜ぶのに」と言う。
- お母さんの所属するコーラス隊は、練習では人が集まらないのに、本番になるとメンバーが勢ぞろいする。
- お母さんの所属するエイサー手踊り隊は、衣装の相談に一番花が咲く。
- 野菜の栽培、家の周りの掃除とおじいさんの趣味は、お母さんのためにあるようなものだ。
- ゴミ収集の有料化は避けられないという見通しで、最近のお父さんの趣味はゴミ出しである。
- お父さんは法学部出身のくせに、自 衛 隊がどうして軍隊でないのか、いまだに理解できないでいる。
- お母さんは、子育てだけは上手にしたなぁ、とおじいさんに褒められたことを自慢しているが、おじいさんは褒めた覚えがない。
- お母さんにしては早い買い物と感心していたら財布を忘れただけだった。
- 「早よボケたら楽やに」とおばあさん達に言えるお母さんは、やはり凄い。
- 子供たちが大きくなって相手をしてくれなくなったため、このままではお母さんネタばかりになってしまう恐れがあるなど「おめでタイムス」も内容の刷新を迫られている。存続の危機という見方もある。
- お寺の境内での盆踊りやエイサーを始めて、人と人のつながりができたことが、何より嬉しいが、正直、お父さんは新しい企画に行き詰っている。
- 「電話はしないから」といって留学した香名子は、本当に電話をかけてこないかわいくない娘である。
- スナップ写真にこりだしたお父さんは、盗撮の疑いで刑事ら9人に取り囲まれ、犯罪検挙にもノルマがあることと冤罪の作り方を知った。
- お父さんのブログは、ご多分に漏れず「自己満足」以外の何物でもない。
- アパート住まいか寮かで太郎と家族のせめぎ合いは越年する。
- 全部1行で仕上げたいという願望は、今年もかなえられなかった。
- 借金で裕福に暮らしていた白山町民は、津市に合併されたとたんに貧乏たらしい市民生活を強いられている。
- 支持政党や政権担当能力の有無にかかわらず、政 権 交 代こそがこの国の最重要課題であるということで木村家の認識は一致している。
- 2007年は、政治家、官僚の本質は、その場しのぎの不作為だということを国民がいやというほど知らされた一年だった。2008年は奴らに国民の怖さを思い知らせる年だと思っている。
- 世界に変化を求めるのであれば、自らがその変化になれ(ガ ン ジ ー)
家族
朝から餅つき。
朝食の後、家族で大掃除。
マダムスーは、掃除の合間におせち料理の準備。
平凡な日本の大晦日である。
この平凡さは、家族にとってきわめて大切だ。
今年も、公私共にいろんな事があった。
長年サポートしている事業のひとつが、年末に新しい局面を迎えた。
別のサポート事業三つは、世の中の不況をよそに順調だ。
大事な叔父が亡くなった。
エイサーは、それなりに順調なように思える。
今年もたくさんのいい音楽と書物に出会えた。
新しいすばらしい出会いもいくつかあった。
その一方で、香名子の留学が象徴するように
家族がそれぞれの道を進んでいく時期を迎えている。
太郎は、大学編入を決め、来年は家を出る。
また、新しい年もいろんな事がありそうだ。
その中で、家族の信頼、団結が物理的距離と関わりなく強まっていくように思う。
不安
地域を揺るがしてもおかしくない事業のゴタゴタが
関係者の歩み寄りで、今日、ひとつの方向を見出した。
立場上話し合いには声は掛からなかったけれども、
そう運ぶようにすべて計算して、仕掛けてあったのだから、
当然といえば、あまりに当然の結果である。
生意気言わせてもらえば、みんながこちらのシナリオどおりに動いただけである。
おかれた状況下で、従った方が得な提案をそれぞれに示してあっただけだ。
問題は、渦中の中心人物がいろんな意味であまりにも認識が甘いのと
本当の意味で腹がくくれているようには思えないので、
手放しで喜ぶわけには行かない事である。
今日の話し合いの結果は、ひとつのスタートラインに過ぎない。
関係者が力をあわせられる状況を作ったからといって
問題の解決が図れるとは限らないのである。
無駄や足の引っ張りあいがなくなるだけである。
本当の解決策が見出せるかどうか、これからが正念場なのだ。
それなのに、中心人物が安堵してしまっている*1上に
今後の取り組みに覚悟ができていないのでは、あまりに心もとない。
*1:勝手に「和解」の話なんかを進める安易さが何よりの証拠だ。